Friday, October 30, 2009

Villa Vanille

Rimg0407 マラケシュのホテルはとても居心地が良かった(見つけてくれたウチの奥さんに感謝)。若いフランス人夫婦が経営するゲストハウスなのだが、広めの敷地にはプールが2つあり、サボテンやオリ−ブの木の間をラバや山羊が放し飼いされていたりする。点在する数軒のコテージのモロッコらしい内装や小物も、オーナー2人のセンスが表れているようで、ゴージャスとは違ったリラックス感がとてもいい。
 着いた日のランチは、僕らのコテージのテラスでNさん達とタジンをいただいた。チキンと野菜がサフランでトップリと煮込んであって、旅の疲れが吹っ飛ぶような美味しさだった。母屋は古い建物で、居間や食堂、台所などが自由に出入りできる。レセプションもなく、客は図書室やあずま屋など各々好きな所でくつろぐことができる。ただ、コテージには電話がないので、用事があるときは大きな台所を抜けて、オーナーであるフローレンスのいる部屋へ出向かなければならない。
 暇に任せて庭をフラフラしているうちに、大きなうちわサボテンの赤い実が目に入った。たしか食べられるはずである。もちろん、その気はないのだが、好奇心も手伝いどんな固さかと触ってみることにした。棘はなく、細かな繊毛に覆われているようだ。そのまま、その場を立ち去ったのだが、なんだか指がチクチクする。見ると、親指と人差し指の先にびっしりと小さな棘が刺さっているのだ。細かい繊毛と思ったのが早とちりだった。1ミリにも満たないような棘だから、全部をうまく抜くことができない。無視しようと思っても、指をこすり合わせると明らかに小さな痛みが走ってしまう。
 どうしたものかと思案しているとハッサンがやってきた。その旨を伝えると、チューインガムで取れるという。一枚噛むのももどかしく、まだベタベタしかけたガムをくっつけては離し、くっつけては離し、最後の一本を取るまで終始無言だった。気のせいか、しばらくはまだ一本くらい残ってるような気がしてならなかった。

Thursday, October 29, 2009

Couleur Cafè

Rimg1095 無事アギーユ・ドゥ・ミディ征服後、登りと同じロープーウエーで一段下の乗り換え地点まで下る。ここまで来ると、少し人間界に近い気がする。見ると、少し離れた場所に山小屋みたいなものがある。ドイツ語ではヒュッテというのだろうがBARという文字も見える。吸い寄せられるように小屋の中へおじゃますると、髭を生やしたおじさんが退屈そうに新聞を読んでいる。ちょっとしたみやげ物がテーブルに並んでいるのだが、床には大きなリュックとヘルメットが置いてある。頂上を目指してちゃんと自分の足で登る人のための中継地なのだろう。メニューを見ると、赤ワインがある。暖かいヴァンショーをお願いしたが、あいにくやってない。しかたなく、ボルドーのグラスをお願いし、勘定をするためにカウンターの近くへ行くと音楽が流れているのに気がついた。低域がカットされた小さなラジオ独特の痩せた響きだが、どこかで聴いたようなメロディーだ。ちょっとラテンっぽい。そのままテラスへ向かいかけた瞬間「クーラーカフェ・・・」という歌詞が耳に飛び込んできた。ゲンさんである!こんな場所でのゲンズブールとの遭遇に、思わず膝を打った。確かにここはアルプスとはいえフランスなのだから不思議ではないのかもしれないが、なにせクーラーカフェ、この場所にピッタリの語感ではないか。ひとり悦にはいり、ハミングなどしながら、しばしあたりをトレッキング気分でそーついた。でも、日本に戻って調べると「コーヒー色」とサブタイトルが付いている。自分の勘違いに寒けがした。

Wednesday, October 28, 2009

AIGUILLE du MIDI

Rimg0217 シャルロット・ペリアンが手がけた施設レザルク2000を見たかったのだが、あいにくスキーシーズン直前でクローズしていたため代わりにモンブランへ行くことにした。ジュネーブからバスで2時間ほどで麓のシャモニーに着く。目の前は壁のように立ちはだかる山だ。頂上は見えない。これからロープーウエーに乗って、はるか雲上まで登るのかと思うと武者震いしそうだ。実は、帰国後に仲間と一緒に出す予定の同人誌”Yodel”のために、どうしても雄大な山の写真が欲しい。仕事の都合でひとあし先にモロッコから帰国したデザイナーのNさんから「山の写真、ヨロシク!」と言い渡されているのだ。
 一気に登ると高山病の危険があるらしい。さいわい、途中2000mくらいで一旦降りて別のロープーウエーに乗り換えるとのこと。おそらく上はかなりの寒さに違いない。この日のため防寒用にエヴァーウォームの下着を着込んでいるのだが、それにしても、もはや寒い。35度の砂漠から一気に零下の世界へやって来たわけで、身体が順応していない。回りもほとんどの人がそれなりの格好をしている中で、異彩を放っているのがバスでひっきりなしに喋っていた4人の謎の中国人だ。全員ワイシャツに薄いグレーの背広姿でマフラーもなし、という軽装は、傍目にも大丈夫かな、と思ってしまう。そんなことにはお構いなしに、ほとんど垂直かと思われるロープーウエーに乗った僕らは、またたく間に標高3842m、終点のアギーユ・ドゥ・ミィディと呼ばれる展望台に運び上げられた。
 それから先のことは筆舌に尽くしがたいほどクールだった。つまり、寒さを通り越した無我の境地だったわけだ。写真を撮ろうにも、強風のせいか足と指先の血流がストップしていることが歴然で、なにごとも思うに任せない。めったやたらにシャッターを切る。そんな中でタバコを一服したら(風か気圧なのか、なかなかライターが付かないのだが)、今まで味わったことがないほど旨かった。
 しかし、15分が限界だった。暖かいカフェテリアに逃げ込み、ホットチョコレートを飲んでいると、くだんの中国人達もやって来た。でも、ポケットに手を突っ込んだだけで、寒そうだけど案外平気そうだ。しばらくすると、彼らは何も飲まず、又そそくさと極寒の世界へ消えていった。何か使命でもあったのだろうか?クールだ。

Monday, October 26, 2009

ハッサン

Rimg0669-1 旅の醍醐味のひとつは人との出会いなのだが、今回ほど様々な人とソデスリアエタことはないと思う。そのほとんどは、パリに住むユカリンのおかげなのだが、彼女が紹介してくれたのがモロッコで会ったハッサンだ。マラケシュにあるスークの中でじゅうたん屋を営む彼は、法外な値段をふっかけるのが当たり前のスークで唯一信頼できるディーラーだとのこと。東京で行われたモロッコのクラフト展のために来日したこともあるという彼のコレクションは、確かに見応えがあり、様々なキリムの中でもなるだけシンプルなものを何枚かいただくことになった。正直なところ、あの狂騒のフナ広場をやっと抜け出て、温厚な顔の彼に出会ったとたん、なんだかホッとした気持ちになったものだ。
 ハッサンという名前を聞いてすぐに頭をよぎったのはアリ・ハッサンというスーダンのミュージシャンだった。ナイルの上流、ヌビア地方のダンス・ミュージックのマエストロで、キューバ音楽とミックスした強力なグルーヴは頭がクラクラするほどかっこよく、僕は一時中毒になったことがある。アラブ圏でハッサンという名前は多分ポピュラーなのだろうと思いながらもハッサンに尋ねると、なんと彼もアリ・ハッサンが大好きらしく、彼との距離がグッと縮まったような気がした。ついでに、グナワ・ミュージックはどうか、と聞いたら、もちろん好きだ、お前にアリ・ハッサンとグナワのベストなCDを帰る前にプレゼントする、と約束してくれた(結局この約束は守られなかったが・・・、インシャラーである)。実際、こんな時には音楽は便利な共通語になってくれる。
 3日目は朝からハッサンと一緒にアトラス山脈へ車で一日ツアー。マラケシュを出て信号なしでバカみたいに真っ直ぐな道をひたすら走ると、突然茶色をした山岳地帯へさしかかる。ガードレールもない曲がりくねった道を、かなりのスピードで上るエアコンの壊れたワゴン車は、これでも上等の方なのだ。気がつくと標高1500m、そこだけ緑に覆われた谷間のウリカ村へ到着。リンゴの産地らしくレストランで食べた地元料理タジンも美味しかった。そしてハッサンの友人宅でミント・ティーをいただき休憩。この人の名前もハッサンらしい。ハッサンだらけだ。それに、ミント・ティーだらけ。何処へ行っても、まずはミント・ティー。甘く香しいミントの香りと、ハッサンのちょっと汗臭いワイシャツの匂いがなつかしい。

Sunday, October 25, 2009

une petite maison

Rimg0902-3 ジュネーブのホテルを朝9時に出て、左に葡萄畑、右にレマン湖畔というスイスならではの眺望を楽しみながら列車に揺られること小一時間、小さな町ヴェヴェイに到着。駅で尋ねると、湖畔沿いに歩いて20分くらい、迷うことなく行けることが分かった。この様子だと、約束の時間にはたどり着けそうだ。なにしろ週に一日、水曜日が原則なのに、事前のメールでなんとか金曜の見学を許されたのだから遅れるわけにはゆかない。しばらく歩くと、ネスレ本社ビルを過ぎたあたり、国道と湖に挟まれるような三角地に目的の「小さな家」が目に入る。アルミニウムの外壁に覆われた細長い建物は、なんだかワゴンみたいだ。
 身の丈ほどの茶色いドアを開けると、室内に暖気が感じられる。遠来の客としてはうれしい限り。係の女性ジャネッテさんが笑顔で迎え入れてくれると、挨拶もソコソコに室内を歩き回る。なんと幸せな時間だろう。特徴的な11mの横に長いガラス窓からはキラキラと陽光が湖面に反射し、彼方にアルプスが遠望できる。ここで、コルビュジエは母との時間をゆっくりと過ごしたに違いない。朝日を取り入れる高窓、仕切をスライドさせるとゲストのためのベッド、兄と2人で滞在するための秘密の小部屋(?)、愛犬のためののぞき窓、屋上緑化。随所に細かな工夫が凝らされて、ジャネッテさんの説明がひとつひとつの謎を解いてくれるようだ。家というものは、必ずしも広ければいいというわけではない。狭小であっても、日が良く当たる庭があって、必要にして充分な設備さえあればいい。
 ほぼすべてがオリジナルの状態というのも嬉しかった。しかも、どこを触れてもOK。もちろん椅子に座ることも許されている。で、置いてあるLCシリーズの椅子もオリジナルですか、と質問したところ、2脚のうちの1脚だけがそうだとのこと。言われてみれば、確かに細部に違いがある。すると、ジャネッテさんが持ってみろというジェスチァーをした。持ち上げると、軽い。イームズのLCWやDCWもそうだけど、オリジナルといわれるものはリプロダクトに比べると、かなりの度合いで重量が軽い場合が多い。それはちょっとした感動ですらある。
 実を言えば、僕はかねてからコルビュジエについて回る「巨匠」という字が苦手だった。だからこそ、この「小さな家」に来て良かったと思う。快適さとは、ある種の軽さなのかもしれない。

Thursday, October 8, 2009

「音のある休日」#9

グレゴリー・アンド・ザ・ホーク / イン・ユア・ドリームス
 
Gregory 1 「タフでいることにはもうヘトヘトなの・・・」。訥々(とつとつ)とした生ギターをバックに、舌っ足らずのチャーミングな声が耳元でささやく。歌っているのはニューヨーク出身の女性シンガー&ソングライター、メレデス・ゴドルー。まるでアメリカのインディペンデント映画の主人公のように、リアルだ。
 小さなコーヒーハウスで歌っていた彼女がユニット名義の自主製作でCDデビューしたのは、4年ほど前。その中の1曲が”MySpace"と呼ばれるインターネットのコミュニティ・サイトで公開され話題を呼んだ。その後、草の根のように静かな展開を広げ、日本でもCDが発売されることになる。変革の中、ささやかな日常を歌う姿に、今のアメリカが透けて見えるようだ。(西日本新聞 10 月 4 日朝刊)

Saturday, October 3, 2009

久生十蘭の「従軍日記」

Rimg0040-3 久生十蘭の「従軍日記」を読んでみた。戦意高揚の記事を書く人気作家としての彼は、インドネシアで酒と麻雀と慰安婦に溺れる苦渋の日々を送り、ニューギニアの前線ではアメリカ軍の爆撃の恐怖を味わうという経験をすることになる。アブナイ言葉をフランス語に代えながらつづられる細かな日々の記録は、そのまま当時の知識人の有り様を見るようだ。太平洋の広大な地域に展開した日本の不毛な戦争に、彼自身は案外コミットしていたことをうかがい知ることができる。
 20年ほど前、バリ島の隣のロンボクという島へ行ったことがある。ある朝、ホテルの前のビーチから「ギリ・アイル」と呼ばれる、さらに小さな島へカヌーで渡ってみることにした。1時間ほど波間を揺られ、ようやく視界に入ったその島の隣にちっぽけな岩だらけの小島があった。船頭が、頂上の黒い物体を指さしながら、旧日本軍の砲台だと教えてくれた。戦略的にはさして重要とも思われない孤島にポツンと置き忘れられた大砲。目の覚めるような青空をバックにした、この天国のような小島に配属させられた兵隊は、毎日一体何を考えて過ごしたのだろう、と不思議な気持ちになったことを覚えている。
 僕は、いわゆるジュウラニアンではなく多くの作品を読んだわけでもない。本の表紙に写る写真が、幼い頃見た父の軍装姿とほぼ同じポーズ、表情だったことに興味を惹かれたのだろう。長靴を履き、軍刀を杖のようにして虚空を見つめるポートレイトは、さながら当時の日本男児のアイコンのようだ。