Sunday, August 25, 2013

”やさしい社会科”

「国家」と「国」、どう違う?

さあ、そろそろ社会の話をする時間です。
難しそうだけど、実は面白い。
ひょっとすると、音楽や映画やファッションに負けず劣らず、あなたの想像力を刺激します。
2回目のテーマは、いつも当たり前に使う「国」と、つい構えてしまう「国家」という言葉。何がどう違うのでしょう。
「国家」は本当に「共同幻想」なのか?
セルジュ・ゲンズブールがテレビで500フラン札を燃やした意味。
「ローカル」と「グローバル」。
何故、聡明といわれる日本人が、ときどきひどい下痢をするのか? 
などなど、硬軟織り交ぜた話題を交えて、「国民国家」を考えましょう
たどたどしくてもいいんです、一度足を運んでみませんか。
9月6日(金) 20:00-22:00 @albus 福岡県福岡市中央区警固2-9-14 Tel:092-791-9336
参加費500円、飲み物、持ち込みOK。
(席が限られますので、予約をおすすめします)
出席する人:石井勇(autumnleaf) 、酒井咲帆(Albus)  、武末充敏(organ)  、武末朋子(organ)  、野見山聡一郎(soichiro nomiyama design) 、あなた。

Wednesday, August 21, 2013

さいたさいたチューリップのアナが…

    
 フィンランドの田舎道をレンタカーで走っていると、一瞬ポートランドの続きのような気がしてくる。つい一ヶ月前の出来事だからということもあるが、緑豊かな自然の中を対向車もなく、風景と一体となって走り続けていると、ついそんな錯覚に陥りそうになるのだ。でも、いったんフリーウェイに乗ると、事情は一変する。一直線の広い道を様々な車が100kmを超えるスピードですっ飛ばし、ひたすら目的地へ向かうだけの世界へ突入してしまう。時々、ガスステーションとサービスエリア、そしてショッピングモールがあらわれる。このシステムを世界中に広めたのはアメリカなのだろう。いや、最初のアイデアはアウトバーンだった。 国民がフォルクスワーゲンに乗って好きなところへ行けるというヒトラー総督のアイデアだったはず。ドイツ帝国が夢想し、アメリカ帝国が実現したものは、それ以外にもたくさんある。最悪なのは、原子爆弾。ナチスから逃れたユダヤ人科学者達が原爆開発を成し遂げ、日本が最初(で今のところ最後)の被爆国となった。なのに、なぜかそのアメリカの文化に憧れ続ける自分がいる。これは、ずいぶん居心地が悪いことである。
 フィスカス村で泊まったB&Bの女主人は、年のころ50歳くらい。庭の喫煙できるテラスでタバコをプカプカ吸いながら、「わたし日本のうた歌えるわよ。さいたさいたチューリップのアナが…」とぼくらを歓待してくれた。次の日だったか、彼女と若いボーイフレンドが表紙を飾るコミュニティ新聞をロビーで見つけた。どうやら彼女はこの辺りでは有名人らしい。ところで、彼女の足は車ではなくハーレーダビッドソンだ。そういえば、田舎道をドライブ中、 ハーレーに乗ったヘルス・エンジェルス風の人達をかなり見かけたっけ。この国にも、アメリカ文化に影響を受けて屈折してしまった人達がいることは、アキ・ カウリスマキの映画でもおなじみだ。ただし、「世界の警察」を標ぼうする、独善的国家としてのアメリカに批判的なのは言うまでもない。救いは、そんな政府のやり方に対して、色んな分野から「それは間違ったやり方だ」という自分なりの意見をいう普通の人々がアメリカには存在していること。これだけは日本がまだまだ真似しきれていない点だろう。写真は途中で立ち寄ったカフェ。まるでセルジュ・ゲンズブールの映画『ジュテーム』に登場する架空のアメリカン・ダイナーのようだ。

Friday, August 2, 2013

モダニストとは多かれ少なかれ社会主義者だったのです。


 フィンランドは、日本とほぼ同じくらいの国土なのに、530万の人間しか住んでいません。これは、大阪府全体より少ない人口です。ちなみに首都ヘルシンキは60万人だから福岡市の半分しかありません。したがって、マリメッコやアルテックの本店がある目抜き通りを歩いても、どうかすると天神より人が少ない。これで大丈夫なんだろうか、と余計な心配をしたくなるところですが、一人当たり国民所得はドイツ並なのです。その上に教育システムが整っていて、英語をはじめスウェーデン語など複数の外国語を話せる人も珍しくありません。長く実質支配していたスウェーデン、その後のロシア、ソビエト連邦から独立したのは1917年と、国民国家としては、実は新しい。その間、スウェーデンからは重工業を含めた資本制自由主義を取り入れ、ソビエトの国家共産主義、社会主義路線との間で微妙な舵取りをしながら、東西冷戦の時代を独自のスタンスで切り抜けてきたようです。そして、その姿勢はデザインの世界にも表れていると思います。それは、まるでバウハウスのように「資本主義経済がもたらした技術を受け入れると同時に、資本主義経済に対抗するという両義的な運動だった(K氏)」のかもしれません。アルヴァー・アールトの三本脚のスツールと、タピオ・ヴィルカラの精緻なガラス・オブジェが、どちらもこの国から生まれたことは、決して偶然ではないはずです。モダニストとは多かれ少なかれ社会主義者だったのだと思います。