Wednesday, October 9, 2013

ハワイ島には、自然世界そのものがゴロゴロしていて、飽きることがない。

今回のハワイ島(オアフも若干)の旅を振り返っててみよう。
 まずは、食べ物。タロイモをすりつぶしてペースト状にした昔のハワイの主食とされる「ポイ」。通は、2日くらい寝かし、少し酸っぱくなったポイと、タロイモの葉っぱをくるんで蒸し焼きにした豚と魚「ラウラウ」を一緒に口に入れるとのこと。そのやさしい塩味は、ポリネシア、インドネシア、はたまた日本の田舎のお祖母ちゃんの味に通じるものだ。食のアメリカ化で、一時は忘れられていたが、最近はローカル料理として人気復活。元来、牛は食べなかったこともあって、豚や魚が旨い。オアフにあるHelena's Hawaian Foodsは19:30には閉まってしまうが、並び覚悟で(予約不可)、駆けつけるだけの価値がある食堂だ。
 
買い付け的には、ハワイ島のひなびた町や国道沿いに、アンティック屋が点在しているのがウレシイ。たとえばホノカアにあるHonokaa Trading Antiques。おなじみTIKIや、古いガラス瓶をはじめ、ガジェットからスーベニア、メインランドのものまで、もちろん玉石混交。ボクは、最近すっかり少なくなったニイハウ・シェル のブレスレットや、ハワイ固有の木「コア」のウッドボウル、それにオキュパイド・ジャパンの陶器の人形などを買ったが、店主のおばさまはなかなか手強い。でも、憎めない。そういえば、ハワイは沖縄と並ぶ米軍基地の島でもある。だから、サープラスものも多い。年代物のベーカーパンツやセイラーハットなんかが、ひっそり眠っているからあなどれない。
 

そして観光。まずは、やはりボルケーノ群に圧倒されたい。今も活発な活動を続けるキラウエア火山。そこから車で一気に海へ向かって下ると、溶岩流が海に到達して、道路に巨大なウンコとなって固まった異様な光景が待っている。Road Closedだ。そのほか、ワイピオ渓谷の神秘的な光景、オアフではダイヤモンドヘッド初登頂と、地球を相手に汗だくになってみるのもいい。そうそう、タブーを破ったり、戦いが苦手な人を保護したという、古代ハワイの不思議な神殿があった聖地プウホヌア・オ・ホナウナウの静けさも良かった。とにかくハワイ島には、自然世界そのものがゴロゴロしていて、そのことだけでも飽きることがない。


Saturday, October 5, 2013

ホテル・ホノカア・クラブでのこと、の終わりに。

以下のことは、日本へ戻ってきてから調べてみたことだ。
 Katsuこと後藤濶は、明治政府が募集した第一回の移民994名の中のひとりとして、1885年日本からハワイへ渡っている。そして、3年間の契約でプランテーションで働き、その間に蓄えたお金でジェネラルストアを開店したらしい。店も軌道に乗り、英語がしゃべれたこともあって、労働者と経営者とのトラブルや交渉事の世話をしたりしていた。そんな中で、リンチに遭ってしまったのは1889年、ハワイへやってきて4年。まるで西部劇の中の出来事のようだが、本当に起こった事件なのだ。
 
 写真の碑文では、後藤濶のことを「サトウキビ栽培労働者の人間としての尊厳と労働条件の改善を実現した労働運動の草分け的存在だった」とたたえている。

 ところで、19世紀なかばから”Go West”の掛け声で西部開拓に邁進したアメリカは、ついにメキシコからカリフォルニアを奪い、太平洋へ至る道を開いている。その後は、中国への野心をいだきながら、海路ハワイに進出、その後日本へ来航したペリーが開国を迫ることになる。その間、ハワイには多数の宣教師や入植者が移住して、当時アメリカで需要が急増していた砂糖製造のためにプランテーションを経営し、ついには島々の経済的実権を握ってしまう。そのままアメリカに併合されることを恐れた国王カラカウアは1881年、なんと日本を訪問し、内密に移民を要請している。その結果、ハワイに日本人が急増してしまう。そして、それが、アメリカにとっては面白くなかったことを想像することは難しくない。
 真珠湾アタックを待つまでもなく、明治時代のハワイにおいて「日米衝突」が起こっていたことを、ホノカアというちっぽけな町が気づかせてくれた。それにしても、アメリカにしろ日本にしろ、「国家」というワクグミからは、ろくなことは見えてこない。しかし、嘆いてみても、それが消滅する気配もまるでない。最後にひとつ、ジョリーが言ったことで記憶に残っていることがある。様々な民族がミックスするハワイだが、日本人の混血は少ないらしい。明治時代に移民した男たちは、ハワイで配偶者を探す気がサラサラなく、遠く日本からお嫁さん候補を船で呼び寄せていたそうである。

Friday, October 4, 2013

ホテル・ホノカア・クラブでのこと、の続き。

 ホテル・ホノカア・クラブのいい具合にくたびれたダイニングルームで、僕はジョリーに日本人移民の話をアレコレ聞いていた。それは、今回の旅の目的のひとつだったし、彼はそのことを尋ねる相手としてピッタリだと思ったからだ。
 唐突に「Katsuを知っているか?」と問われて、知らないと答えた。「随分昔、Katsuはこの先にある電柱に吊るされた。彼は砂糖きび畑で働く労働者の良い相談相手だった。アメリカ人とも対等に話ができる日本人だったんだ」。ショッキングな話だった。Katsuの記念碑が町のハズレに立っているから、もし興味があるなら、明日行ってみてはどうか、と勧められた。
  翌朝、ホテルの隣家の庭で育ったというマンゴーやバナナ、そしてパン&コーヒーという簡素だけど、そのどれもが滋味に満ちた朝ごはんを食べ終わった時にジョリーから声をかけられた。
「昨日話したKatsuの記念碑、もし良かったら僕のカートで連れてゆくよ、その前に郵便局に寄ってよければね」とのお誘い。ひょっとして、カートって、いつもホテル玄関で目印代わりになっているピンク色の、おそらくゴルフ場のお下がりらしきモノのことか? アレって公道を走っていいのか? 僕には断る利用は何もなかった。
 かくして、ホノカアのノスタルジックなメインストリートを、大人3人を載せたビークルが、爽やかな島風にあおられて疾走することわずか3分でまずはUSPSのサインがある建物へ到着。そして、今度は町の反対の方向へ走って、ホテルも通り過ぎ、間違いなく5分で記念碑の前に着いた。その間、ジョリーは知り合いの何人かと、あろうことか、すれちがったパトカーにも挨拶を忘れなかった。なにがリベラル左派なものか、彼は正真正銘ラブリーなアナキストに違いなかった。

Thursday, October 3, 2013

ホテル・ホノカア・クラブでのこと。




正式名を「ホテル・ホノカア・クラブ」という。砂糖きびプランテーションで働く日本人労働者たちのために建てられたのは、1903年。「クラブ」と付いているところに往時を感じてしまう、今年で110年という文字通りのヴィンテージな建物だ。現在のオーナー、アネリーとジョリーはオアフ島出身で、ここを買い取って経営をし始めたのは14年前。あちこち手直しはした のだろうが、建物を含め、できるだけオリジナルを使い続けていて、そんなところに感激してしまえる人にはおすすめのホテルだ。中国系のアネリーは、 テキパキとレセプションをこなす女将さん。その間、白人の旦那さんジョリーは玄関でゲストを相手にいつまでもおしゃべりをしている。ここは、そんな、ふたりの役割分担がかいま見える、気のおけない洋風の旅籠(はたご)といった風情だ。

 ホノカアはとても小さな町だから、夜になると食堂は早く閉まってしまう。しょうがないので、一軒だけあるスーパーマーケットで惣菜みたいなものを買ってきて、部屋で食べようとしたら、玄関のところでアネリーに呼び止められた。「カトラリーやお皿、必要だったらうちのを使ってね、よかったらこっちで食べたらどう?」。しからばお言葉に甘えて、ということで、たまたまダイニングルームでひとりハンバーガーを食べようとしていたジョリーと一緒のディナー・タイムとなった。
 ぼくらが日本から来たことを知ると、ひとしきりバブル時代のオアフや、マウイ島開発で、いかに日本のグローバル資本が派手なことをやったかを解説してくれた。つまり、バブル後がいかに不景気かということらしいのだが、いつしか話は健
康保険の事になった。「日本は皆保険だけれど、アメリカは個人加入なので、リッチじゃないと自分の健康も守れない」との言葉に、「でも皆保険はオバマの選挙公約でしょ?」と訊くと、「巨大な保険会社のロビー活動のおかげで、多分ムリだね」。そういえば、ジョリーはオバマと同じホノルルの高校卒だとも言っていた。アメリカが変になったのはレーガンが大統領になった頃からだ、なんてことも。どうやら彼はリベラル左派と見た。それは、その夜の最後に聞いた、ある日本人移民の話を聞いて、確信へと変わった。

Tuesday, October 1, 2013

”やさしい社会科 Vol.3” 「原発」


秋だというのに、サンマを食べるのにも躊躇する自分がいます。今の政府の安全宣言をうのみにできないからです。
ドイツは与野党を超えて、脱原発を成し遂げました。日本はなぜ出来ないのでしょう。「フクシマのあと、脱原発に踏み切った国は、核兵器を持っていない国だけです」と、柄谷行人さんは言っています。
三回目の「やさしい社会科」は、今、避けて通ることができない問題について、みんなで話します。
有識者はいませんが、有意識者はいます。たどたどしくてもいいんです、ぜひご参加ください。

10月8日(火)20:00-22:00 @albus Tel:092-791-9336 福岡県福岡市中央区警固2-9-14
参加費500円、飲み物、持ち込みOK。(席が限られますので、予約をおすすめします)
出席する人:石井勇(autumnleaf) ,酒井咲帆(Albus) ,武末充敏(organ) ,武末朋子(organ) ,野見山聡一郎(soichiro nomiyama design) ,あなた。