Sunday, March 9, 2014

一瞬ここはインドネシアか、

初めてのローマ。ただでさえ古い町並みの下層には、さらに古い遺跡がいっぱい眠っているので、バスで市内を走っていると「エッ、こんなところにも」という感じで、アチラコチラにローマ時代の石柱がニョキニョキと顔を出している。それに引き換え、バチカン市国は、いかにも現世の栄光を誇っているかのごとくピカピカに壮麗で、ちょっと鼻白んでしまう。コロセウムは呆れるほどのデカさで、闘技をそう呼んでイイとすれば、スポーツの大イヴェントは、昔から為政者によるかっこうの人民掌握手段だったことを思い知らされる。骨董街といわれる通りを歩いてみたが、目ぼしいものは少なく、古い版画などの紙ものやいかにもアンティークな塑像などで値も高く、ほとんど触手が伸びなかった。エンゾ・マーリやブルーノ・ムナリなど、僕が好きなイタリアン・モダン・デザインは、北のミラノの産物なのである。
 ナポリから、いよいよ南イタリアの旅が始まる。ヴェスビオ火山を遠望するナポリ湾には、まばゆい陽光が降りしきり、まさに南国の趣だ。「スパッカナポリ」と呼ばれる猥雑な旧市街には洗濯物が鈴なりで、曲がりくねった細い路地をバイクや車が走り、あちこちにゴミの山が散乱している。古い教会には、キリスト教とイスラム教が混交した独特のクラフト感を持つものも多い。旨いピッツェリアでは、ボトルで3.5ユーロというバカ旨の白ワインと、魚介類たっぷりの料理が待っているので、昼間からいい気分になってフラフラ歩くことになる。すると、ついぞ忘れていた往年のカンツォーネが自然に自分の口をついて出るではないか。中学時代にラジオから流れていたジリオラ・チンクエッティやボビー・ソロ、ナポリ民謡『帰れソレントへ』など古層のポップスたちだ。電車に乗って有名なポンペイの遺跡へ行ってみた。そこで目にした、奇跡的に残ってしまった紀元前からほぼ変わらない生々しい人間の暮らしぶりには、ただただ圧倒されるしかなかった。2000年かけて、果たして人類は進歩したと言えるのだろうか。
 ナポリからシシリアまでは一昼夜をかけてフェリーで移動。早朝パレルモ到着前に甲板に出てみると、映画『気違いピエロ』では「永遠が見つかった」はずの地中海が真っ赤な朝焼けに染まっていた。波止場に1台だけいたタクシーをつかまえて、予約していたB&Bに無事チェックイン。部屋はいい感じのアンティック家具で統一されていてここで3泊出来るのが嬉しい。街はナポリ以上に南国。椰子の木をバックにたくさんのバイクが走っているさまは、一瞬ここはインドネシアか、と錯覚するほど。

Friday, March 7, 2014

ノー・プロブレム。

シシリアのパレルモからバスに揺られて2時間、アグリジェントへたどり着いた。そこからバスを乗り換えて、急峻な坂を下ったところに「神殿の丘」がある。2月中旬とはいえ、温暖な地中海気候なので早くも白い花がまっさかり。桜かと思ったがどうやらアーモンドらしい。他にもさまざまな花が咲き乱れ、あたりは得も言われぬ芳香に満ちている。このパラダイスみたいな丘に、紀元前からのギリシャやローマの神殿群が点在しているのだ。イオニア式の石柱は、往時の姿をなんとかとどめているものもあるが、そこら中に散乱しているものが多い。そんな倒れた石柱の上に登ってみた。すると南のゆるやかな斜面の果てに海が見える。それもそのはず、さほど遠からぬ先はアフリカ大陸の北端チュニジアの岬。ギリシャやローマと戦ったカルタゴの地である。
 カルタゴとは、太古から北西アフリカに住むベルベル人が作り上げた強力な国家とある。後にイスラム化し、シェークスピアの『オセロ』ではムーア人として登場する、航海術に富み、褐色の肌をした民族である。なかでも紀元前の将軍ハンニバルは、象を先頭に大群を率い、スペインからピレネーを越え、ガリアを征服し、その後なんとアルプスを越えて今のイタリアに侵攻、ローマを脅かすほどの戦術家だったらしい。「ハンニバルがやってくるぞ!」といえば、子供は悪戯をやめるといわれるほど、ヨーロッパを脅かした人物。反面、多岐にわたって影響を与えたことを想像することが出来る。いまさらだけど、地中海をヨーロッパ世界中心にしか考えてこなかった自分を思い知らされる。
 パレルモへの帰りに乗ったバスは、僕ら以外にはアフリカ系のノッポとチビの男性がふたり。座席についてもひっきりなしにおしゃべりをしている。そのうちにノッポさんが携帯でしゃべりだした。言葉は何語なのか、まるでパトワのように飄々として聞こえるので面白いがまるでチンプンカンプン。ひとつだけ聞き取れたのは「ノープロブレム」という英語。多分トータルでは30分はしゃべり続ける間に、4、5回は使っていたから、少し込み入った話だったにちがいない。さまざまな民族が横断し、おそらくプロブレムだらけだった地中海でこそ、あえて他者に対して必要な言葉なのだ。