Tuesday, October 18, 2016

アイノ・アールトのこと。

 パイミオのサナトリウムではアルヴァ・アールトがデザインした有名な椅子をいろいろ見ることができる。そのなかでひっそりと異彩を放つスツールがある。スチール製の3本の脚の2/3が接地面で円を描いて連結されたこの美しいスツールは、アルヴァの妻であるアイノがデザインしたもの。ぼくは以前から、アイノがデザインした同心円を描く"湖の波紋"のようなガラス製品は大好きだったのだが、彼女こそが建築家アルヴァ・アールトにとって無くてはならない存在だったことを知ったのはつい最近のこと。
 1910年代、ふたりはヘルシンキ工科大学で建築を学んでいた。先輩のアルヴァは快活で議論好きで学内でも目立つ存在、かたやアイノは内気で控えめと対照的。そんなふたりが結婚したのは1924年、卒業したアイノがアルヴァの最初の建築事務所で働き始めてほどなくのことだった。アイノのドラフト(製図)の腕前は卓越していたのだ。彼らの仕事は平等で対等で、完成した設計図には二人がサインをしたばかりか、アイノの名前を先に記していたという。さすがなアルヴァ。ル・コルビュジェのシャーロット・ペリアンへのクールな対し方とは違う(ふたりは夫婦ではなかったけれど)。どちらかというと、チャールズとレイ・イームズ夫妻による「協働スタイル」に近い。
 
たしかに夫婦協働は、やり方によっては強い。パイミオのサナトリウムのためにデザインされた椅子たちは、その後アイノが友人と設立したアルテックという会社からプロダクト生産され、大戦後の好景気に湧くアメリカを始め世界中に輸出されることになる。そして家具や内装、テキスタイルなどのデザインを手がけることになったアイノは、建築家アルヴァとは違った仕事の立ち位置へシフトしていく。それらはいずれも簡潔なのに、温かさとウィットにあふれるアルヴァのデザインにも通じるが、なんというか、より冷静さが感じられる。
 ふたりはそれぞれ「同士」としてモダニズムへと邁進した。もちろん、いつもツーカーとは限らない。目標こそ近いとしても、どうしてもお互いの個性が出てしまう。たとえば服装だけど、ボヘミアン・タイプで無造作だったアルヴァに対して、アイノはファッショニスタだった。料理はしなかった。どちらかというとロシア人っぽく、ぽっちゃり体型のアイノの、短髪にアレクサンダー・カルダーがデザインしたネックレスを付け、モダンで個性的なドレスを着た写真を見ると、つい樹木希林さんを思ってしまう。ついでに言うと、女性関係でも無邪気だったアルヴァを本気で怒らなかったというところも、似ているのかも。
 主人公ノラを通して”女性の自立”を描き、一大センセーションを起こした戯曲『人形の家』を書いたヘンリック・イプセンはノルウェーの人だったし、『ムーミン』でおなじみのトーベ・ヤンソンはフィンランド人で同性愛者だった。そう思えば、北欧にはヨーロッパ的旧習から自由であろうとした女性がいい仕事をしている。「可愛いく」て「お洒落」なだけじゃない、独特のオーラを持った北欧デザインの奥には、アイノのような女性の存在があったのだろう。
 アルヴァとアイノの協働関係は、アイノが悪性腫瘍と診断された後の約20年間にも渡り、55歳で死が訪れるまで続いた。彼女は最後まで現役だった。ちょっと早すぎた感もあるけど、濃密でフェアな時間を共有したふたりにとっては、短くはなかったはずである。