Thursday, April 13, 2017

チェンマイ周辺の焼き物。

有吉さんのインスタレーションでsabieの器を見て、てっきり木製だと思ったら陶器だった。漆を塗りこみ、焼き締めたもので「陶胎漆器」と呼ばれ、日本が日本と呼ばれる前から存在したらしい。しかし、大陸から釉薬が到来して、奈良時代には廃れてしまったとのこと。そんなに古い手法だったんだ。どうりで、「木」や「土」っぽく感じるわけだ。考えてみると、「陶器」って人類最初のプロダクトだったわけで、その中でも、埃をかぶったようなイニシエの技に可能性を見い出すなんてクールだ。なにより器のカタチがイイ。西洋と東洋が、とても美しくバランスしている。後日、さっそく、作った花田さん夫妻にorganでの個展を提案し、快諾を得ることになった。ちょうど僕らは、チェンマイへ行く寸前だった。陶器と漆といえばアジア。個展を前に、なにか共通するものがありゃしないか、と思った。
チェンマイは1292年から1939年まで、長くラーンナー王国の都だった。ラーンナーとは「百万の田」という意味で、国内はパンナー(千の田)と呼ばれる行政区分があり、その下にはパークナー(百の田)と呼ばれる村の連合体があった。ポイントは村の「自主性」が高かったといいうところで、ヒエラルキーもなかったという。つまり、中央集権が弱く、統一性が薄く、国家としてはかなり”ユルかった”のではないか。
 日本の骨董用語で「下手物(げてもの)」「上手物(じょうてもの)」という区別がある。前者は粗雑で大衆的、後者は高級で富裕層向きとされるが、チェンマイ周辺から出土する陶器には下手物が多い。たぶん、このユルい風土が生み出したものかもしれない。空気を読みすぎる国からやって来て、そんなユルい陶器に出会うのは、じつに悪くないものです。
たとえば、最初の写真、”Phan”という窯で焼かれたであろう高さ11cmほどの耳付き花器。やや黄色がかった丸い胴が緩く凸凹している。ロクロではなく手ひねりでこしらえたのだろうが、両手の掌でころがすと、そのイビツさが変に心地がいいから困る。続いてふたつ目の高さ14cmほどの染付花器も、なかなか負けていない。”Kalong”というチェンマイ北部で焼かれたもので、こちらはたぶんロクロ。にもかかわらず、首にかけて、全体がやや傾いでいるのが写真でおわかりだろうか?お世辞にも上手いとは言いがたい絵付けも、見飽きないから不思議なもんだ。そして、最後のコブ牛。これについては、どこの窯と特定するのはむずかしいが、文句無しにラブリーである。
 ラーンナー王国の焼き物は、王女から家臣、そして僧侶から一般人までが、仏事&デイリーユースに使うためのもの。輸出されるためのものではなく、この地方で消費されるために作られた。だからなのか、マス・プロダクトへのプレッシャーを感じない。あえて”クラフト”と呼ぶのも恥ずかしいほどにセルフィッシュだ。